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幼少期エピソード:
音楽界は家系伝承派が多い中、特に音楽や芸術に関わる身内は見当たらず。そういえば、祖母は華道の先生をしていた。戦後の米軍キャンプで、日本語と手八丁で教えていたらしい。
母が「お母さん、情操教育にいいですよ」という訪問営業マンにのせられて「ドレミファ・ブック」(確か30巻くらいある)を購入した。当時はLP版だが、お気に入りでよく聴いていたらしい。
2才頃、団地に売りにくる牛乳屋さんの音楽を、かなり遠~くから聞きつけていたようだ。「『ミッ、ミッ(ミルク)』と言いながら、おんぶ紐を自分で引っ張ってくるのよ。何も聴こえないのに、しばらくすると、大きな音楽がこえてきたから、あんた、耳良かったのね」というエピソードがある。今も、複数の人たちの同時進行する話を聞き分ける才は残っている。

両親の仕事のため、ロンドンに住む。とにかく、日本より静かだった記憶。駐在家族のお子達は、何かと音楽系の習い事をしていたようだが、我が家は子供サイドも親サイドも特にアプローチはなかった。

エレクトーン:
友だちの妹が鍵盤を弾いていることに惹かれた。中学入学のお祝いに楽器を買ってもらう!当初はピアノに憧れていたのだが、ヤマハの店員さんが、「サントワマミー」を華麗にエレクトーンで弾き語りしたことから、やはり、エレクトーンに決まってしまった。

ヤマハ音楽教室に通いはじめ、グレード取得に向けて練習に燃えていた。
出生魚のごとく、新機種が発売されるエレクトーン。その宿命(ヤマハの商戦か?)と戦いながらも、漠然と音楽の道を進みそうな予感が。

エレクトーンはさまざまな楽器の音色がデジタル&リアル再現するので、この経験は今も役立っていると思う。しかし、すべての楽器音は10本の指と足で弾くという誤解も培われた。ベースは足で弾くものと思っていたし、実際叩けないようなドラムの打ち込みをやってのけた。。。

音楽を仕事に:
尚美学園電子オルガン科を修了し、ヤマハ5級まで取ったことで、披露宴での演奏の仕事を始めてみた。かたわら、音楽事務所で子どもたちやOLさんにエレクトーンを教える。誘われユニットやバンド活動をしたり、頼まれるとインディーズ映画のテーマ曲を作曲していた時代。

複数の仕事を平日にやって、土日はブライダル。結婚式では生演奏の仕事が減っていくご時世で、ついでに?司会者の特訓を受けて仕事になった。1本目の披露宴は演奏、2本目は司会でと、仕事的にかなり重宝がられた。しかし、土日で4本も披露宴に出ると、疲労宴に・・・
数百本越えを期に、演奏の仕事はふっとやめたくなり、執着なくやめた。

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